私家版・ユダヤ文化論
意味なく祖師ヶ谷大蔵と経堂をぶらぶら。「英」のソフトクリームを食べて帰る。明日の期末試験用のリスニングMDを作る。会議。
- 作者: 内田樹
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2006/07/20
- メディア: 新書
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終章は、ユダヤ人が「知性的」であるのはなぜかという問い。内田樹の場合は、要約するより引用してしまったほうが早い。世の中には「『私はこれまでずっとここにいたし、これからもここにいる生得的な権利を有している』と考える人間と、『私は遅れてここにやってきたので、〈この場所に受け容れられるもの〉であることをその行動を通じて証明してみせなければならない』と考える人間」(228-29)がいる。いうまでもなく前者が反ユダヤ主義者というか右翼であり、後者がユダヤ人。ユダヤ人は「自分が犯していない罪に有責感をもって生まれる」とレヴィナスはいう。彼らはあらゆる行動に「先んじている」原初の暴力的な父みたいに扱われることがあるが、同時に、生まれたときにはすでに罪が先行していて、その責任感のもとで世界に降り立つしかないという意味で、「遅れてきた」存在である。「ユダヤ人はおそらくその民族史のどこかで、この『不条理』を引き受けられるほどの思考の成熟を集団成員へのイニシエーションの条件に課した」(225)。