In Pursuit of a Scientific Culture

ほぼ一月放っておいたギッシング論、再開。

In Pursuit of a Scientific Culture: Science, Art, and Society in the Victorian Age (Science and Literature Series)

In Pursuit of a Scientific Culture: Science, Art, and Society in the Victorian Age (Science and Literature Series)

十数年ぶりに部分的に再読。数年前にジョージ・エリオットとG・H・ルイスについて書いたとき、この本の存在自体をすっかり忘れていた。いま読んだら、そのとき自分が書いたようなことがこの本にもすでに書かれている。ルイスのロマン主義的要素云々のところ。つまりこの本で読んだのを忘れていて、どこか記憶の隅に引っかかってたアイデアを利用していたということだ。最近そういうこと多い気が……。
正直、文体的洗練に欠けた本だと思うが、ヴィクトリア朝イギリスの実証主義科学思想について、トピックを広げるのでなく、哲学的な主張・内容、とくに道徳哲学としての内容を正面から扱ったものとしては、いまでもまず真っ先に挙げるべき本かもしれない。コントの演繹性というか過度の体系性に対して、観察・帰納を重視するJ・S・ミルが具体的にどのような距離をとったか、とか。とくに今回目を開かれたのはレズリー・スティーヴンの章。善悪について「直感的判断」か「結果重視功利主義」かという対立軸自体をスティーヴンがずらしている、とある。ヴィクトリア朝の議論では、「直感的判断」は個人の精神に属する(つまりカント主義)のがたいがいだが、スティーヴンは利他精神を社会共同体の存続のために形成されたものと捉えている。形而上学に代わって、進化論的社会学が導入されて、「善」が説明されるということだ。スティーヴンを読まなくてはいけないときも、そのうち来るのかなあ。