武蔵野市からの発信

1年ゼミ、『駅馬車』。西部における民主主義、ジョン・ウェインの登場シーンなどのカメラの動き。文学理論、『エイリアン』。昼食前に見たくなかったという反応をたくさんいただく。会議、会議。

公助・共助・自助のちから―武蔵野市からの発信 (成蹊大学人文叢書)

公助・共助・自助のちから―武蔵野市からの発信 (成蹊大学人文叢書)

身内の本です。武蔵野市のけやきコミュニティセンターの地域通貨の実態など、たぶん今後基礎資料として引用されるものになると思う。北町3丁目の木の花小路公園は、小さいが雑木林の趣のある場所で、ときどき蛍を見たり本を読みに行ったりしていたが、自主的なヴォランティア団体が管理していることは初めて知った。飯塚邦彦のこの論文は、市民委員会をベースとする「武蔵野方式」について少し肯定的すぎるような気もしないではないが、政策決定・運用のプロセスが具体的に語られている。
職場の授業の「メディアリテラシー実習」は、むさしのみたか市民テレビ局や、エフエムむさしの、それにkiss cafe と協力して、コンテンツを作っていく授業。かなり教育実質の上がっている授業だと思うが、この授業の責任者見城武秀が、どうかするとこうした市民製作メディアや学生の作りあげるものが、あまりにも「レベルが高く」、マスメディアが発信するものとの違いが見えづらくなっている、と指摘しているのが興味深い。いい技術が安く使えるご時世だし、イデオロギー的にはほとんど差が出ない。マスメディアを巧みに縮小模倣したものになっている、ということだ。実際吉祥寺の街案内をテーマに作った番組を見せてもらったことがあるが、じつに滑らかに上出来だった。テレビ的にいいものを作ろうとすると、ウェルメイドなワイドショーとして「完成」してしまうのはなかなか避けられないのだな。