レキオス+Sex & the City

レキオス (角川文庫)

レキオス (角川文庫)

すみません、今頃読んでます。小説としての欠点は、主人公の混血少女、デニス(女の子だけどこういう名なのです)がこの世界ではあまりにも普通の女の子で、キャラ立ちが弱いことなのだが、たぶんここは思想的には譲れないところ。あたりまえに基地の中で育った彼女は、歴史の不可逆性をあたりまえに、心から生きている存在だ。レキオスの魔方陣は、文字通り「時空を越える」のだが、そうして沖縄の歴史を書き直す輩とは、帝国主義的悪魔に他ならない。アメリカがあった沖縄、ペリーに出会った日本から、われわれは逃げられない。たいがいの歴史改変SFは、ふだん直接意識されない変化を歴史に注入して、シミュレーションを楽しんでみるものだ。しかし沖縄では話は違う。沖縄のありえた現在は、はるかに目に見えやすく、意識に上りやすい。だからこの作品は、改変された世界を語るというよりは、歴史を改変しようと思う欲望とはなにかのほうを、深く語っていると思う。
ゼミ、川本静子『「新しい女たち」の世紀末』の序章と、『ドラキュラ』論。Dracula chaps, 6,7。卒論ゼミ、Aさんの Sex & the City, "the Real Me" の回を見ながらあれこれ。やはりこれは卒論で扱うのは難しい。論文集も出ているが、プロデューサーの手の内で踊っている感が否めない。たぶん、主人公のまわりの三人がみんな極端ではっきりしたキャラなので、女の人生のディレンマが、主役の悩みを通じてではなく、ただ並列された選択肢として提出されてしまうせいだ。ドラマの作りとして混乱をうまない、よくできすぎた構成で、その分批評の介入が難しいわけです。攻めどころがあるとしたら、「消費で自己実現」といバブリーな生き方を考えるとかか。Aさん自身は「強い女」の話を書きたいのだと思うが、むしろ男のキャラクターの扱いをみたほうが議論が展開するかも。女四人はそれぞれいけてる女だが、出てくる男はもっとヴァリエーションがあるので。
「セックス・アンド・ザ・シティのキュートな欲望」 性とファッションの秘密を探る

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