処罰と矯正

確定申告のときに土地の登記簿抄本を付け忘れていたので、今川の法務局杉並分室へ。無個性なバス通りに、役所の前にお約束のように寿司屋とパスタ屋と定食屋が一階に入ったアパート。この殺風景さは、しかし地方都市出身者にはある種の不快な安心感を与えるものでもある。常連という人種があらかじめ用意されているムラ世界。
ゼミ、谷内田浩正「処罰と矯正」、富山太佳夫編『ディコンストラクション (現代批評のプラクティス)』(1997)所収。ウェブの検索機能をうまく使えない学生は、二つ以上の検索語を入れるということに考えが及ばないことに気づく……って、二週間前にも書いたっけ。教員としてしばしば座右の銘的に思い出すことばは、アーセン・ヴェンゲルの「選手は二回や三回言ってもなにも変わらない、百回、表情を変えずに言わなければいけないんだ」である。もちろん(日本の)大学制度の問題点は、卒業するまでに百回言う機会が与えられないことだ。卒論ゼミ、Mさんのキャンプとジュディ・ガーランド

ドーナッツをくれる郵便局と消えゆくダイナー (朝日文庫)

ドーナッツをくれる郵便局と消えゆくダイナー (朝日文庫)

二十年ぶりにイギリスから戻ってきたアメリカ人の目に映るアメリカ。ネタがいっぱい。腹が立つのは、原著から翻訳まで丸二年以上あったのに、入試に使わなかったことだ。いや、うちの入試に使うには難しすぎるか。高偏差値大学に勤める同業者を唯一羨ましいと思うのは、入試の英語問題を作るために原文を書き換える手間が、たぶん少ないという点だ。