LAC精神分析的思考の可能性

駒場の学際プロジェクト、LACの第4回シンポジウム@駒場。参加者100名強。加藤敏先生は、「虚偽能力」の多少を軸にした現代社会論。中野昌弘さんは、近代の自己言及性と経済の外部について、わたしはメランコリー論とナショナル・アイデンティティについて、頼りはジュディス・バトラー、ネタは『ターミナル』。今回は、知名度、話のスケール感からいって質問はおもに加藤先生にくることがわかっていたし、なにしろ司会は原和之さんで、概念整理は全部まかせてしまえばいいので、楽ちん。喋りたいことだけ喋ってにこにこしている。
第2セッション「文学から精神分析を考える」。ピエール・バイヤール氏は、文学の精神分析への応用をずっとやってきたが、これは失敗であって、わたしには一人の弟子もいず、とかとぼけたことを言う。山崎冬太さんは、中原中也の「芸術論覚え書」「生と歌」を軸に、中原のいう「芸術は名辞以前の世界で、生活とは諸名辞間の交渉である」という考えに、ある種の精神分析的な方向性を見るというもの。山田広昭さんは、『ハムレット』に触れたフロイトの書簡が足がかり。フロイトは、「現実」と「幻想」を対比したときにじょじょに幻想に重きをおくようになっていったといちおう言えるが、それでもトラウマ的な核、歴史の唯一性への引っかかりは生涯持ち続けたのではないか、という。
懇親会は、駒場の方たち曰く「独法化唯一最大の成果」たるキャンパス内のフランス料理屋。かなりおいしい。山田さんと、フロイトの議論を安易にラカンの概念に翻訳することは慎むべきでは、などと話す。T大先生ら四人でさらにお酒@水香。