The Great Stink of London

The Great Stink of London: Sir Joseph Bazalgette and the Cleansing of the Victorian Metropolis

The Great Stink of London: Sir Joseph Bazalgette and the Cleansing of the Victorian Metropolis

初版1999。タイトル通り、ロンドンの下水網工事を指揮した技師、ジョゼフ・バザルゲットについての本だが、伝記というにはプライヴェートなことは書かれていない。また、もう少し「プロジェクトX」風味の技術的な苦労話が書かれているかと思ったが、ポートランド・セメントの部分以外には、そうした話はなし。バザルゲットは、一八五○年代末からセメントの実験をくりかえし、彼が六○年代末に実際に使い出すと一挙に広まったらしい。
本の大部分を占めるのは、当時の衛生問題の言説解説と、各教区の委員会との交渉および工事のゆっくりとした進展の詳細。とにかくロンドンの反中央集権性というのはものすごく、セント・パンクラス教区だけでも、道路についての独立した委員会が16、関連する議会法案が29あって、どれも無視できない。バザルゲットはなるべく安価にシステムを作ろうとしたが、安くすればテームズへの排水口は市街地の近くにならざるをえず、それには反対が出る。ベックトンとクロスネスに排水口を置く現在まで続くかたちができるまでに、議員のベンジャミン・ホールはずいぶん苦労したようだ。この時期のイギリスの公衆衛生改革というと、エドウィン・チャドウィックが大物としてとりあげられることが多いが、ホールは1854年にそのチャドウィックを衛生委員会から追い出した人である。チャドウィックは敵も多かったし、中央集権志向にすぎて、実際の改革を行うにいたらなかった。下水改革は、チャドウィックの失脚後に実現したわけだ。
このテーマについては、われわれは見市雅俊の一連の仕事を知っているので、やや点が辛くならざるをえない。第五章では、都市の屎尿を肥料として農地にまわす計画とその失敗――失敗するに決まってるよな、ロンドンの排水は糞尿や食品の残り屑だけじゃないもの――が扱われているが、これも阪上孝編『1848 国家装置と民衆―京都大学人文科学研究所報告』(ミネルヴァ書房、1985)に収められた見市論文のほうが詳しかったような気が。ただし、当時の川辺の光景や、Illustrated London News からのものなど、カラー17枚を含む百枚近い図版は、すなおに嬉しい。それから、万博の際にハイドパークに多数の水洗トイレが設置され、多くの人はここで初めてその恩恵に与かった、というのも初めて知った。