racial melancholia

採点。

Loss: The Politics Of Mourning

Loss: The Politics Of Mourning

から、David L. Eng and Shinhee Han, "A Dialogue on Racial Melancholia" (pp. 343-71)。ハンはシカゴ大やコロンビア大でカウンセリングをやってきた人。彼女が実際診療した例プラス、マキシム・ホン・キングストン、リー・タジリの映画 History and Memory などを具体例としてあげて、アジア系アメリカ人アメリカ社会に同化することによって経験する、出身地文化の「喪失」を跡づける論文。小学校で発音を笑われた日系人にとって、ブロークン英語を話す自分の母親と、さらには日本的なもの一般が、廃棄の対象となった、といったエピソードが、フロイト、バトラー、クラインを動員して分析されている。核になるのは、アメリカへの同化において、喪とメランコリーが同時に起こっている、という捉え方。うまく喪失を処理し、正しく葬って「りっぱなアメリカ人」になると同時に、その喪失はメランコリーとして主体につきまとう。
否認された同性愛は、異性愛者の無意識のなかにとりこまれ、異性愛者をずっとメランコリーの状態におき続ける、というバトラーの議論を、そのまま国家意識や民族主体の議論につなげていいのかどうか、ぼんやり考えているが頭がはっきりしない。アメリカでは、移民の場合にはエン&ハンの議論に説得力があるのだが、WASPあるいは抽象的な「アメリカ人」のなかに、民族的・国家的他者が否認しつつとりこまれているのか、とか考え出すとよくわからなくなってくる。