Victorian Medical Maps

会議、打ち合わせ、来年度のシラバス

Mapping the Victorian Social Body (SUNY Series, Studies in the Long Nineteenth Century)

Mapping the Victorian Social Body (SUNY Series, Studies in the Long Nineteenth Century)

前著 Disease, Desire, and the Body in Victorian Women's Popular Novels (Cambridge Studies in Nineteenth-Century Literature and Culture) で、女性作家のセンセーション小説についてひじょうにバランスのいい記述をしていたギルバートの単著二冊目。十九世紀イギリスでの、コレラをはじめとする医療統計地図を軸にしたもの。Hector Gavin, Sanitary Ramblings: Being Sketches and Illustrations of Bethnal Green (1848)、Thomas Shapter, The History of Cholera in Exeter in 1832、Henry Acland, Memorey on the Cholera at Oxford in the Year 1854 (1856)、それに John Snow, On the Mode of Communication of Cholera の二版(1855)などが取り上げられ、加えてディケンズ『われらが共通の友人』の作品論、そして同時期のインド・コレラ論二章という構成になっている。
医療地図が都市空間の表象・形成に大きく意味をもった、というよりそれ自体が都市の認識そのものとほぼイコールであった、という以上の大きな主張は出てこないのだが、類書があまり思いつかないという意味で重要な仕事。こうした地図は、ある特定の地域に病気が巣食っていることを強調するのに用いられることが多く、病原に関しては、接触感染説(コンタギオン)をとらなかった――つまり病の空間的移動ではなくて、病を特定の場所に限定する局所化の理論のほうにおもに依拠している、というのが通説だと思うが、ギルバートは基本的にその図式を認めながらも、もう少し細かい差異に気を配っている。とくに、一枚の地図にも、過去の地勢や病の記録が何重にも重なってパリンプセストになっているという視点がおもしろい。
最後のインドを扱う部分では、一八六六年の国際衛生学会でのアジア・コレラの議論が取り上げられている。イギリスの施策の失敗が感染拡大の大きな理由ではないか、というおもにフランスの非難にイギリス側はむっとしており、インド固有の事情――気象条件ばかりでなく、たとえばヴァラナシその他への大量の巡礼が流行病の理由である、などと主張している。インドのイギリス人医師や行政官は、本国よりもはるかに接触感染説に傾いていたらしい。
この本の一つの軸は、統計という方法が、一人一人独立したリベラル主体としての個人を要請し、同時にそうした個人が集まったものを集団として処理する二重性をもつという視点だ。もちろんこの「個人である個人」と「集団の一部である個人」の区別には階級差がくっついてくるわけで、たとえば終章では、チャールズ・ブースがこの区別にのっとって、「個人の自立した(中産階級)郊外」と「集団化しスラム化した(労働者階級の)都市部」を分つような物言いをしていると指摘されている。ちょっと気になるのは、リベラル主体の定義の一つである「移動の自由」について、ギルバートがなにも言っていないこと。病の多少によって地域を塗り分けるような地図は、人間の移動について基本的に考えない(だから接触感染の立場をとらない)。もちろんこれは、イギリス資本主義が移動の制限を嫌い、たとえば港での検疫に対して商業界が猛反発したことと絡んでいる。とはいえ郊外の家に住む家長は毎日シティまで出かけているのだし、リベラルな主体の観念と、個人を自宅の住所のみで統計化するような思想とのあいだには、そもそもどこかで軋みが出るのだろうか、などと思ったり。