文明崩壊

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)

『銃・病原菌・鉄』の驚きは、答えが一つ、きっぱりと出ていたことだった。アフリカや南北アメリカにではなくユーラシア大陸にもっとも高度な文明が展開したのはなぜか、それはユーラシアが南北にではなく東西に長いからだ、という単純な「正解」が。今回も、上巻の帯はそうした答えへの期待を煽りまくっている。
実際はどうかというと、ダイアモンドは今回、社会の崩壊の原因はあくまで多元的だと強調している。イースター島ピトケアン諸島、アナサジ、マヤ、ノルウェーグリーンランド、これらと違って崩壊し消滅したわけではないが、危機的状況にあるモンタナ、ルワンダ、ハイチ、オーストラリア、いずれの場所でも、もともとの自然の生産性(土壌の豊かさや雨量)の脆弱さ、気候の変動、人工増加、軍事的要因、過去の例の場合は科学的無知、社会体制の硬直性など、さまざまな要因が組み合わさって、森林資源は破壊され、自立した文明は持続できなくなってゆく。崩壊の法則は一つではないのだ。
……といってみたが、じつは作者があまり強調していないだけで、前著のような「一つの答え」は出ているのじゃないかという気もする。それは「旧来の(しばしば環境に適していない)文化体系を保持することにこだわれば、危機は回避しづらくなる」というメッセージだ。とくにグリーンランドとオーストラリア、つまり白人入植者文化を論じた章には、その色が濃い。中世にグリーンランドに移り住んだノルウェー人たちは、イヌイットを軽蔑して彼らの猟の技術を学ぼうとせず、乏しい資源を教会の維持に回し、多大な努力を費やしてウシを飼い、乳製品を作り続けた。(そしてなぜかまったく理解できないのだが、魚を食べることをタブーとした。なんでここだけノルウェー文化を捨ててるんだ。)もちろんそうした文化的同一性へのこだわりがなければ、そもそも彼らは数百年にわたって自前の文化圏を維持できなかっただろう。しかしその文化は、グリーンランドの土地環境に根ざしたものではなかった。
オーストラリアやモンタナは、実際には生産性が低い土地であるのに、「農民文化」がアイデンティティに根づき、ヒツジや材木が象徴的な価値を得てしまっているために、危機的な状況にある。オーストラリア経済にはまったく無知だったので、この章はすごく勉強になった。イギリス人は、国土の広さと広大な森に騙されて、この植民地を豊かな土地と勘違いした。そしてヒツジにとどまらずに、ウサギとキツネも何度も失敗しながら無理やり持ち込んで(ああ!)植生をめちゃくちゃにした。オーストラリアの農地の九九パーセントは、ほとんど経済に貢献していない。収益が上がっている農地は、全体の1パーセント以下、火山性の土壌などに恵まれた僅かな部分にすぎない。にもかかわらず、農家の政治的発言力はあいかわらず高いし、彼らは文化的に尊敬されている。文化的アイデンティティが、経済原理に抗い、環境保護運動を押し戻す力になってしまっているのだ……。
この方向があんまり強調されてないのは、それをやるとイデオロギーとして反発をうけやすそうだ、という著者のバランス感覚なんだろうな。