Alone and quiet, I heard the washing of the waves

運転免許の更新に行かなくてはならないのに、運転用の眼鏡が見つからない。これはあれだな、サッカーの神のお叱りだ。運転用の眼鏡など、ほとんどスタジアムに行くときしかかけないのに、もう半年近くスタジアムに行っていないからこういうざまになるのだ。
ギッシング選集 (第4巻) イオニア海のほとり』(原書1901、小池滋訳、秀文インターナショナル、1988)。マラリアが流行ってるぞ流行ってるぞ、と散々言った上でお約束のごとく実際にかかっている。原始の南国――ここでの南イタリアは、不潔でろくな食事もない未開の地だ――の旅と伝染病、というおなじみのテーマ。診察した医師が「あなたリューマチ気味ですな」などと言うのも面白い。南国とイギリス、危険な感染症と遺伝系の慢性疾患との対比。ギッシングは、マラリアの熱のなかで、ギリシア・ローマ時代のこの地の光景を幻視する。この荒れた土地にかつて栄えた古代文明の姿に、もっとも迫れたのはこの熱病を通じてなのだ。
この章が、貧民のデモの場面で終わっているのも考えさせられる。イギリスにおいて、感染症はスラムの社会問題と容易に結びつく。晩年のギッシングは、とりあえずそうした社会問題に背を向けて、孤独な旅と省察とを書物にする人となった。自閉的達観、と言ってもいい。他人との交わりにあまり重きをおかないという意味で、晩年の彼は反接触的=反感染的な生き方をしているわけだが、まさにそういう人間こそ、一人で南国を旅して感染症にかかったりするものだ。この章では、デモという直接の社会問題と、古代への憧憬という、周囲の社会とは隔絶した個人的志向とが、病を介して屈折したかたちで連結されている。社会問題小説家から静謐なエッセイストへ、という彼の歩みのなかで、病がこうしてレトリカルな繋ぎ目になっているところは、他にあるかしら。