from queer public to queer privacy

このテーマでは初の本格的社会史。司法関連のデータを渉猟している上に、ナショナル・サウンド・アーカイヴのオーラル・ヒストリー・プロジェクトから、往時を知る人のインタヴューをたっぷり使っている。
以前クェンティン・クリスプの自伝のときにも書いたが、二次大戦後のロンドンで同性愛行為での逮捕件数が増えたのは、統計的にも事実(年間200件から600件以上に)である。ただし、市警がなにか方針を変えたわけではない。逮捕件数は、市警の方針よりも現場の警官の感覚のほうに多く左右される。とくに影響が大きかったのは、1927年、フランク・チャンペインという戦争で勲章をもらっていたオックスフォード出の教員が、アデルフィ近くの公衆便所に何度も出入りしていて逮捕され、議論を呼んだ事件らしい。現行犯逮捕ではないから、逮捕した警官のほうも厳しい尋問をうける。しかもこの場合、警官のほうも何度も便所に出入りして、つまりチャンペインからみれば自分を誘惑しているように見えたのだ。囮捜査だという批判もうけるし、こうなってくると取り締まるほうも「不道徳的傾向」があるのではないかと疑われてしまう。現場の警官たちはこの後、この種の捜査にあまり乗り気でなくなったのだという。じゃあなぜ戦後に逮捕件数が増大したかだが、じつはホールブルックははっきり答えてはいない。たしかにいえるのは、逮捕件数の増大は、ケンジントンやハンマースミスなどごく一部の管区でしか起こっていないことで、全体方針というよりローカルなレベルでの警官の判断が変わった、ということだ。戦時中は実際にパブリックな場でのホモセックス(という語がこの本では使われている)が増えて、警官の仕事が平時に戻ったせいで摘発されるようになった、ということじゃないかと思うんだが。
第二部は、Coventry St. の Lyons' Corner House を始めとする、あちこちのゲイ・スポットのありかた。とくにトルコ風呂の章がおもしろい。Jermyn st.の Savoy は、1975年まで営業していたが、ほとんど手入れをうけていない。(警察の資料が頼れないので、実態はだから把握しにくい。)1937年に、イシャウッドがベンジャミン・ブリテンにこの世界の手ほどきをするのにまず連れていったのはここだそうだ。他の店もここも、経営側がとくに同性愛にシンパシーをもっていたわけではなく、たんに儲けのために、警察の指導をのらりくらりとかわしていたようだ。休暇中の兵隊の宿泊施設では、とくに Waterloo Road, The Union Jack Club がそういう場所だったという。
第三部で強調されているのは、しばしば trade と呼ばれた、金で上流階級に買われる労働者階級の男たちは、自分たちを完全に「ノーマル」と思っていたということ。実際彼らの多くは女と付き合っていたし、自分の男性性が崩れない限りは、男とのセックスを異常なこととは受けとらなかった。"Dilly Boys" とか "painted boys" とか、女性化した男たちだけが、別のカテゴリーに入れられた。そして大事なところだが、とくにウェストエンドの繁華街では、彼らクイーンたちは都市の風景としてそれなりに受け入れられていた。風紀紊乱で捕まる危険はつねにあったけれど。セクシュアリティよりもジェンダーの差異が重要だ、というのは現在のインドなどでもそのようだが、「ホモセクシュアル」というカテゴリーは、イギリスでも二次大戦後に作られたものなのだ。
ホールブルックの最大の主張は、この「ホモセクシュアル」というカテゴリーの確立は、戦前に繁栄していたパブリックスペースの死とともに進んでいる、という点だ。1967年にはソドミー法は廃止される。新たにリスペクタブルな、立派な市民である同性愛者の存在が認められたということだ。それに際しては、Henry Curtis-Bennett という弁護士の役割がけっこう大きかったらしい。また、かつてエドワード・カーペンターが唱えたような「友愛としての同性愛」のイメージとか、性科学による、同性愛は自分で選択できない生まれつきの性質なのだという思想も、同性愛者の市民権の確立に一役買った。
しかしそれと同時に、公衆便所やカフェといったパブリックな場所のクィア化は、不節操なものとして排除されることになった。市民である同性愛者は、プライヴァシーにおいてのみ、自宅においてのみ、性行為ができるのであり、戦前のクイーンたちのような派手なふるまいは忌避される。ホールブルックは、ソドミー法廃止に向かう1957年以降の Wolfenden Committee での議論を検証して、同性愛の「権利」が、パブリックとプライヴェートの峻別、前者とセックスの結びつきの排除、によって成立していることを描き出す。何度も引かれているのは、Rodney Garland の小説 The Heart in Exile (1953)。アッパーミドルの同性愛者が、かつての恋人の死をきっかけに、戦前の活発だったロンドンのクィア世界をふりかえる物語だ。主人公は、いまではそうした乱交の場から離れて、「リスペクタブルな」人になっていて、パブリックな場には戻っていけないことに気づく。第三部の最後におかれたこの小説の分析が、全体の枠組みをよく表している。
エピローグに載っている、1926年のロイヤル・アルバート・ホールでの Chelsea Arts Ball の写真がすごく印象的。上半身裸の南洋風とか、ドラァグ紛いとか、雑多なクィアな仮装で溢れている。この雑多なもののオープンスペースでの交じり合いこそ、著者が復活させたいと願っているものだ。