CALL英語、会議、会議、会議。『ジジェク』翻訳の前置きとか索引の補足。

DEATH NOTE (8) (ジャンプ・コミックス)

DEATH NOTE (8) (ジャンプ・コミックス)

ジャンプ的なるものの本質とは、その一定の緊張感の持続というかリズムだと思う。だれたら切られちゃうわけだから。一定さがいちばんわかりやすいのはもちろん「こち亀」だが、もっとメリハリあるはずのドラマでも、ジャンプ(が象徴する場)では、一定の定常性が要求される。で、『デスノート』は、そういう場で、一回完結でなく長いスパンで謎解きミステリをやるという、どこかがまちがってんじゃないかという試みなわけだ。この話のなにがすごいといって、探偵と犯人の考えることがまったく一緒で、時間差もなにもまったくないということ。パズラーというジャンルは、探偵がしだいに犯人のレベルに上っていって、あるいは下りていって一体化することによって作られるのだが、この二人は、最初から最高に頭がよくって、天辺で同レベルなんだもの。迷いもなにもなく、ただ「正しい」解決が二人の天才によって作られる。もちろんこれはゲームの世界の正解に近く、それが最高に効率的に、ある程度のサスペンスは(おもにフラッシュバックで過去のある時期を隠蔽することで)確保されて提出されている。
これ読んでいてなに思い出したかというと、あまりに低レベルな話で申し訳ないんですが、自分がやるナポレオンとかコントラクト・ブリッジですな。わたしは学生時代一人カードゲームを夜中というより朝方によくやっていて、素人レベルではそれなりにうまくなった。で、人と一緒にやるゲームでも、べつに賭けてもいないのに、ついつい遊びのない、つまり勝てるときは100%勝てる札から出していく、ということをしてしまう。いかにも学者的なやりくちであって、それでは遊びにならないからいかん、といまでは鳥取で立派な坊さんになっているはずの同級生に叱られたものだ。『デスノート』を好きな人って、みんな自閉性に不満をもたない人なのかね。