ジジェク自身によるジジェク

秋にJACETでe-learning の授業報告をやる予定なので、他の講師とその打ち合わせ。去年の成績データ、なくしてないだろうな……。e-learning 期末試験監督。非常勤先の特殊講義試験採点、自分の勤務校よりできがいいのはなぜだ。

ジジェク自身によるジジェク

ジジェク自身によるジジェク

今回自分の本に、8年前にジジェクについて書いた文章を入れたが、その頃(『斜めから見る』や『快楽の転移』の頃)に比べると、ジジェク自身の〈現実界〉の扱いかたがずいぶん変わってきている。ずいぶん書き直したとはいえ、こちらがちゃんと対応できているとは言いがたい。要するに昔のジジェクは、もっともっと〈現実界〉を強いものとして、ほとんどフェティッシュ的な硬い核をもったものとして描いていたが、たぶん自分で意識してそれを修正している。たとえばこんなところ。
「〈現実界〉は堅固な核――私たちの象徴的な虚構のみに対立するものとしての真の現実――のようなものではないということです。……[〈現実界〉は]自然を象徴化しますが、そのために、まさしくこの象徴化において、あなたは過剰、あるいは欠如を対称的に生み出すのっです。そしてそれこそが〈現実界〉なのです。……決定的に重要なのは〈現実界〉のあらゆる物象化を避けることです」(111-112)
ジジェクといえば金太郎飴だという印象が強いし、実際言ってる理屈は変わってないと思うけど、レトリックの力点は移動している。いつからか、というと、シェリング論(1997)か、『厄介なる主体』(1999)か、といったところか。『厄介なる主体』、いよいよ翻訳が出るみたいですね。
孤島に一冊だけもっていく本として、アイン・ランド『水源』を挙げているのには笑った。もちろんわざとやってるんだけど。