ロンドンの長い一日

成城で特殊講義、英文購読。パルコ J Posh で鳥たちを置くスツールのようなもの、In good light でTシャツ。車の中で市内爆破のニュースを知る。
田中裕介「『眺めのいい部屋』から見る〈世紀末〉――ウォルター・ペイターとE・M・フォースターの間」『成城文藝』191(2005)。セシル・ヴァイズが女性を「審美的に」見ていることから説き起こして、二人の作家のセクシュアリティと、結婚に代表される異性愛制度との関係を論じたもの。とくに『眺めのいい部屋』の準備スケッチにあたる「ルーシー」断片のなかのミケランジェロのイメージに注目して、「力強く男性的な同性愛者」としてのミケランジェロ像がこの時代にもつ意味を説いたところが読ませる。ペイターとダーウィニズムとの接ぎ木は、もう少し先が読みたいような気もする。さすがなのは、ペイターを通すことでフォースターを読むという一方通行でなく、フォースターを通すことでペイターを再解釈するという往復が休まずに続けられるところ。たぶんペイターにおいては、異性愛は、審美化されてしまうか、たんに個人主義との対比項にしかならなくなってしまうので、直接取り扱うのが難しい。フォースターの結婚プロットを介することで、『ルネサンス』結語における「経験そのもの」の称揚と「習慣の形成」の批判を、強制的異性愛批判と読むことが可能になる。いっぽうペイターを通すことで、ルーシーという女性キャラクターが担う『眺めのいい部屋』の異性愛プロットは、たんに同性愛の機械的な転喩なのではなく、ある種唯美的な?個人の「自由の感覚」の表現として止揚されている。