凹村戦争

CALL英語、会議、会議。新任教員歓迎会@スーペルバッコ。先日学科単位のものはあったが、今年は四学科すべてに新任人事があるという珍しい年だったので、若手というか中堅クラスのリーダーであるK先生の旗振りで学部のパーティーが実現した。現在の学部スタッフの平均在職年数は11、5年。それってぴったりわたしの在職年数で、つまりわたし自身が中堅だということだ。あーあ。羊肉ローストうまし。キャラメルプリンうまし。体調がベストではないので一次会で失礼。

凹村戦争(おうそんせんそう) (Jコレクション)

凹村戦争(おうそんせんそう) (Jコレクション)

「二人のウェルズに捧ぐ」とされているが、近いのは『プリズナー』とか、シャマランの『サイン』のほう。狭い世界で宇宙の危機が語られる。ただ、もろ「世界系」ではまったくなく、むしろ世界系がいかに幻想的な構えであるかをさらけだすスケッチになっている。昨日の今日なので、いろいろ考えてしまうなあ。ここで肯定されている空気は、「終わりなき日常を楽しく生きろ」的なものだと言ってしまっていい。80年代なら、それは東京のような都市の消費生活とともに語られただろう。ただしこのマンガで描かれるのは、ツタヤならぬ「タツヤんち」以外には文化もなにもない孤立した田舎村だ。実際、現在東京に暮らしているはずのわたしの「文化的生活」は、インターネット以外では、ほとんどレンタルヴィデオショップに行くことでしか存在していないではないか。地方が画一的に東京化したことだけが問題なのではない。東京が歴然と地方化し、凹村になっているのであり、わたしたちはそのなかで生きている。ここでは、世界系(とその不可能)が、普遍化したイナカの問題系であることが、あまりにも明晰に提示されている。