パンポは白くなりたい

文学理論、『不思議の国のアリス』とソシュール。質問用紙が足りなくなったり、時間配分がまずかったり、ばたばた。

児童文学ゼミ、The Story of Doctor Dolittle の11章と12章の改作部分と、リヴィングストンのアフリカ旅行記抜粋。ジョリギンキ族の王子バンポが「顔を白くしたい」と言い出し、ドリトル先生が一時的にだが薬で白くしてやって、お礼に釈放してもらう。現在流通している版では、この部分はクリストファー・ロフティングの手で書き直され、オウムのポリネシアが催眠術をかけて牢屋の鍵を開けさせる話になっている。読んだことはないが、白人ではなくライオンになりたがるという改作もあるらしい。岩波少年文庫では、オリジナル通りの訳がいまも出ている。

今回は、プロジェクト・グーテンベルクからオリジナルをとってきて読み比べてみた。ロフティングが、人種差別という非難を避けるためにそうしたかどうかはわからないが、原作ではこの部分は特殊な枠で語られている。まず、ポリネシアもバンポもやたらもったいぶった擬古文で喋り、ポリネシアは「バラのつぼみに住んでいる妖精の女王」をなのる。露骨に『真夏の夜の夢』のパロディなのだ。バンポは「なぜ白くなりたいのか」と聞かれて、「眠り姫を見つけてキスしたんだけど、目覚めた姫は、『黒いわ!』と叫んで逃げてしまったんだ。白くないと眠り姫には認めてもらえないんだ」という。犬のジップはこれを「くだらない。どっかの農家のおかみさんがリンゴの木の下で寝てたんだ。いきなりキスされてさぞ驚いたことだろうよ」と馬鹿にする。アフリカにリンゴがどれくらいあるかはともかく、バンポのロマンス=古典=お伽話的語りと、ジップのリアリズムは、はっきりと対照的だ。そもそもその「眠り姫」って、黒人じゃないのか?。現行版が、こうした重層性をすっかり失ってつまらなくなっているのはたしか。だからといって改作を否定するのは難しいが……。当然ながらゼミ生の意見も割れる。

ゼミ、『リーサル・ウェポン2』と自分のメル・ギブソン論。マータフ(ダニー・グローヴァー)のトイレに爆弾がしかけられるシーンを中心に。卒論ゼミ、『指輪物語』を、「ホビットがローハンやエルフ、ゴンドールの習俗を記述する民族誌的フィールドワーク」として捉えるというKさんの構想を聞く。悪くない。