アジアの岸辺

アジアの岸辺 (未来の文学)

アジアの岸辺 (未来の文学)

どれも傑作なのはむろん、名訳者たちの競演としても楽しい。男女が完全に分かれて暮らし、生殖は「快楽島」での強姦でのみおこなわれる――宇宙海兵隊の男たちは、ふだんフェティッシュ人形あいての十数秒の射精に慣れ親しんでいるから、生身の女は人形と同じ衣装を着させられる――という「犯るの惑星」は、当然渡辺佐智江にまかされ、当然爆走。見知らぬ人との会話には免許が必要となる世界で、必死に会話を練習する男を描く「話にならない男」は若島先生みずからの訳。悲壮なまでに慇懃かつ無内容に続く会話が、とても痛い。会話の目的は会話そのものであるというのは、みんな知っていることだ。そこに達成目標さえ立てればこの世界が出現する。なぜコミュニケーションするのか? それはコミュニケーションがうまくなるためです……。笑えない、とくに語学教師としては。

表題作はボウルズを思わせる主流文学的な傑作で、イスタンブールの都市論でもある。主人公の建築家は、いっさいの様式や慣習を捨てて建築を、街を見ようとしている。見慣れた形状の世界を「自由で恣意的な選択が無限に続くものとして見るように、目を鍛えること」(p.125)。圧倒的な人工性、しかもそこに一切の背景をもたない構築物として都市を見ようとするこの男は、自分がやがてその構築(しかし、誰の作ったものなのだろう?)のなかに、自分の過去の背景とは無関係に組みこまれていることに気づく。こうしてみるとこれ、オリエンタルな雰囲気で書かれた、量子力学的認識論(イーガンの『宇宙消失』のような)なのかもしれない。しかも自分が実験者だと思っていたら、シュレディンガーの猫のほうだった、というような。