The Intermediate Sex

系列高校の推薦学生の面接。会議、会議、会議、会議。学部のブログを作ろうか、という議題が出る。管理人がしっかりしてないと、なんの役にもたたないような気が。

Sex and Sexuality

Sex and Sexuality

ここのところエドワード・カーペンターに触れるたびに出てくるこの出版社は、ニューエイジ系。Rare Mystical Reprints と名乗り、占星術とかヨガ、宗教関係をおもな縄張りに、古書のリプリントを多く出している。カーペンターは、いまはそういうテリトリーにあるわけだ。ありがたい本屋だが、しかしこの本はひどい。なにが収録されてるんだろう、と思って買ってみたら、Love's Coming of Age (1912) と The Intermediate Sex (1912) の合本。それはいいのだが、どっちも同じ出版社から単品で、しかも同じ版からのリプリントで出ており、後者はわたしも持っている。なんだこの商売は。
 同性愛解放運動の初期のバイブル The Intermediate Sex をいま読むと虚をつかれるのは、本がまず、男性的なものと女性的なものの混合体としての未来のジェンダーを語ることで始まっていて、同性間のセクシュアリティは四分の一くらい進まないと一切触れられないこと。同性愛は、のっけから語られるのではなく、中性的ジェンダーを語り始めた本のなかで、ややなし崩しに導入されるのだ。また、第三章後半での家族制度のやんわりとした批判も印象的。妻と子どもがいる人間は、たとえば専制的独裁者にあえて反抗し拳を振るおうとはしないだろう。真の同胞愛、真の社会主義は、異性愛的家族の強い絆をもたない人によって担われるのだ。ジュディス・バトラーもいつもいうことだが、異性愛体制とは異性愛そのものではなくて、子ども中心の家族を支える体制のことだ。カーペンターの社会主義は、それを端的に教えてくれる。