ハマースミスのうじ虫

ペパカフェフォレストでシーフードサラダとか。犬を連れてまともな食事ができる店はほんとうに少ないので、ここによく来ることになってしまう。ビーグル犬サラのお散歩日記 http://beagle-sarah.a-thera.jp/ とか見ていても、行きたいと思う店がそう多いわけではなく。

ハマースミスのうじ虫 (創元推理文庫)

ハマースミスのうじ虫 (創元推理文庫)

原著1955。名高い古典的名作が新訳で登場です。ミステリとしては、後半、探偵役と犯人役の視点が同じ章のなかでめまぐるしく、しかもほとんど同じ文体で入れ替わっていくところが見もの。探偵役のワイン商キャソン・デューカーの、仕事柄当然とはいえ嫌味なほどの食通ぶり、高級生活感が、事件のテーマと深く関わっている。ハマースミスというロンドンの凡庸な郊外を舞台としたこの小説は、郊外に住まいつつ、キャソンが体現しているような高級クラブのメンバー的な「一流の生活」に憧れるロウアー・ミドル・クラスのスノッブ志向をテーマにしたサスペンスだからだ。ハマースミスの中央通りはこんな風に描かれている。

北に伸びる通りは、心浮き立つ五月の陽光の下でさえ殺風景に見えたが、それは中産階級の俗物根性が凝り固まってできた殺風景さだった。似通ったお上品な中期ヴィクトリア朝様式の家が並んで、それぞれが隣家に挟まれるようにきっちり建っている光景は、自由思想家や急進派や進化論者の攻撃や、メイポールダンスの騒ぎから身を守るために肩を寄せて支えあっているかのようだ。ヴィクトリア朝の事物について齧ったことのある者の目で見れば、ここは醜悪な通りではない。家並みそのものに信念の力強さがある。虚飾に走ることなく、パラディオ様式もどきの壮麗さを出そうという企てもない。そんなことをしていたら、乾物屋が伯爵の位を要求するようなちぐはぐな雰囲気が漂っているだろう。ここは、少しばかり景気のよい小商人が、賑やかな家族とひしめき合って暮らすために作られた場所なのだ。遠近法の視点で眺めると、カナレットの画風に似た、同じ幾何学模様の無限の繰り返しを思わせるところがある。だが、建築業者の構想が不徹底なせいで窮屈に見える。ここには喜ばしさが欠けている。街路樹の一本もないこの通りは、ほどほどの野心を体現した通りだった。(75-76)

ロンドン都市論に、またイギリス中産下層階級のスノッブ文化に関心のある方に、広くお奨め。