天唄歌い

成城で特殊講義。成城学園駅ビルが完成、といっても今日は関係者・招待者向けのお披露目日で、一般人は入れないのだった。駒場のコプチェク・セミナーの原稿翻訳、といってもまだ完成原稿ではなく、N氏、S氏と三分割してなので、あまり量はない。

天唄歌い

天唄歌い

坂東版『ブーガンヴィル航海記補遺』。鎖国に入ったばかりの頃の江戸時代。薩摩藩の通詞が難破の末流れ着いた南の島は、まさにブーガンヴィルが見たタヒチのような孤立した、果物と貝を拾えば生きていける性的楽園だ。時間の存在しないこの島に流れ着いて「犬」として可愛がられている各地の男たち――薩摩、土佐、琉球、上方、唐、南蛮――の、出自もそれぞれ異なる男たちは、それぞれのやり方でこの島に反応していく。いちばんの儲け役は、切支丹の家に生まれ、父を火炙りで失っていまは仏門に入っている若い僧侶。彼と、倭で布教を続けてきたスペイン人神父との対話なども読ませる。島の巫女役(天唄歌い)の後継者である少女の視点から書かれた部分も多いが、焦点はやはり、いろんな過去や立場をもった男たちが島に対してどう対応していくか、のほうだろう。交通の場としての十七世紀南洋の物語として読んでもいいかも。

下北開発計画への意見書

1年ゼミ、Walt Disney on the Front Lines から "Donald Duck Gets Drafted" "Der Feuhrer's Face" "Thrifty Pigs"。文学理論、前期試験の講評。同僚S氏と来週末のお茶の水のコプチェク・セミナーの打ち合わせ。会議、会議、会議。
Save the 下北沢 http://stsk.net/ に、下北再開発計画見直しを求める意見書の雛形が用意されている。サインすればOKという楽なもの。〆切は28日中みたいです。

犬肉

職場の打ち合わせ。コプチェク・セミナーの打ち合わせ@駒場。もともと講演の日本語訳は配る予定でしたが、質疑応答にも通訳がつくことになりました。英語をあまり使わない方も、ぜひどうぞ。
「積み込みとは、数学と建築と彫刻と体操を総合した究極の美の表現である」 by 山下洋輔。いやなにかといえば、妻が犬用の肉を無定見に買い込み、それらが全部一度に届く。内容:
馬肉ミンチナチュラルファーム1kgパック8袋
国産馬スペアリブ500gパック8袋
ラパン骨ごとミンチ500gパック12袋
これに加えてすでに空間を占拠していた馬ぶつ切り肉3パック、鶏丸ごとミンチ2パック、鶏ガラ1パック、人間用の肉、氷、アイスクリームの全てを一般的家庭用冷蔵庫の冷凍庫に収納する作業についてお考えください。ほとんどマラルメ的な不可能美の世界が広がるのがおわかりのはずです。
今日の人間の夕飯:馬肉の大和煮風。結論:固くて食えない。犬に「今日からお正月だよ、ドッグフードなしで朝昼晩とお肉だよ」と言い聞かせて馬肉をやる。残す。人の話聞いてんのかてめえ。

風が吹くまま

現代思想』バトラー特集の校正、翻訳の解題。ゼミ、新図書館のキノコ型セミナールームで Dracula, chap.17。Phyllis A Roth, "Suddenly Sexual Women in Dracula" 抜粋。卒論ゼミ、夏休み中に進んだ草稿のチェック。ただし皆まだ本論に入ってない感じ。割引優待券を貰ったので GAP で買い物。nabe氏、ありがとう。何年ぶりかでシャポールージュで子牛のパン粉焼き。帰りに、今日が最終営業日のいせや本店を見に行く。十重二十重、は大げさだが、五重くらいに立ち飲みの客が取り巻いている。もう一回くらい二階で飲みたかったかなあ。吉祥寺老舗の宵。
コプチェクのセミナーに備えてキアロスタミ作品の見直し。二度の講演でとくに取り上げられるのは『風が吹くまま』。イラン映画の規制下では、ヒジャブをつけていない女性を映すことができない。そのためキアロスタミを初めとする多くの作家は、戸外を主に撮っている。室内で家族だけのシーンでヒジャブをつけている女性は不自然だからだ。『風が吹くまま』では、じつは屋内シーンがある。キアロスタミの分身的存在である監督が、牛乳を貰いに村の立て込んだ住居の暗い室内に入っていく場面だ。暗いから、中の娘の頭部は映らない。ここはけっこう批判も受ける場所で、イメージ的にも、暗い秘所に入っていくことが女性に接近することでもあるという意味で凡庸化が起きている。コプチェクがこのへん、どう料理するのか。駒場の講演では、監督が髭を剃っている、鏡の側から見たショット――監督の背後に、向かいの家に住む女が映る――を重視するらしい。たしかにここ、会話を交わしている二人が同じ画面に入っている、キアロスタミでは珍しいショットなのだ(『風が吹くまま』では、子ども以外はその種のショットはほとんどこれのみ)。できれば理論上のコメントではなく(それは他の人もやるだろうから)、映画について反応したいんだが、何を言うべきかうまくまとまらない。

記憶、羊、ディアスポラ

職場の研究プロジェクト「アジア、政治、アート」のワークショップ。参加者22名。フィリピンでアルマ・キントさんが中心で行っているセクシャル・アビューズ体験児の施設や、ムスリム・コミュニティでの共同制作というか、アート・セラピーの報告。
その後、呉夏枝(オ・ハジ)のシルクのドレスなどのインスタレーションの記録映像。祖母や母から受け継がれる「記憶」の意味が強調されているが、むしろ記憶が直接はつかめない抜け殻、屍骸のイメージが強い。琴仙姫(クム・ソニ)のヴィデオ・アート、毎回羊が出るのがなぜなのか、とか。以前銀座で一部だけ見たときはもっとパーソナルな呟きという印象があったが、全体を見ると全然違う。ハジさんのものと続けてみると、逆ベクトルで、生きている人間や羊をむしろ機械化していくような感じに映る。
ジェーン・ジン・カイセンのセミドキュメンタリーは、ジェーンさん自らがその一人である、北欧のコリアン系養子の実態を追うもの。北欧には2万5千人もの韓国からの養子がいるという。しかし韓国が経済的に発展するにつれ出される養子は減り、現在では数が少ない。彼らはもちろん韓国語はできないし、ほとんどあらゆる意味で白人社会に同化している。それ自体の文化をもたず、ほとんど一世代しかない「エスニック・コミュニティ」なのだ。ルーベンスの絵に現れるイタリアの「コリアン」なる人物を追い、コペンハーゲンのティヴォリ公園のオリエンタリズムが指摘され、と重層的だが、とくに何度も現れる、PC画面を覗き込んでたぶんヨーロッパ文化についてあれこれ(声は聞こえない)議論をしているスキンヘッドのアジア系男三人のシーンが印象的。これがあって「作品」になっている感じだ。
「イル・ラメリーノ」で食事。さらに「SCRATCH」。

コレラがやってきた

CALL英語。特殊講義、前期試験の講評、コレラ

幕末狂乱(オルギー)―コレラがやって来た! (朝日選書)

幕末狂乱(オルギー)―コレラがやって来た! (朝日選書)

静岡に残る一次資料をていねいに読み解いて、幕末コレラ流行への反応を浮かび上がらせるもの。桑原町(現函南町)の村名主による年代記、大宮町(現富士宮)の酒屋主人の日記、などが扱われているが、とくに面白いのは、下香貫村(現沼津)と深良村(現裾野)の両村が、コレラ対策として京都吉田神社に参って勧請し、小箱を貰って宮を建てるまでの記録。文字が書ける農民や名主によって、経費の詳細な記録が残っている。吉田神社、けっこうぼったくってますな。当時の人々は、見慣れぬ病を前にして信心・祈祷をおこなうわけだが、この「異国の病」を「アメリカ狐」の仕業として、狼を眷属として祭る三峯神社の御神犬に頼っていたりする。
最終章はコレラを唄う当時の川柳や戯れ唄。なかなかいいですよ。

やまひの流行止めどがない
一ときころりであつけがない
葬い昼夜とぎれない
輿屋の掛け値ハねぎらない
白むくそんりゃうやすくない
戒名つけるに文字がない
亡者ほうむる地所がない

都写真美術館の石内都展のオープニングに誘われるが、断って早寝。

グラックの卵

会議、会議。職場の新図書館が開館しました。まあ見てやってくださいな http://www.seikei.ac.jp/university/library/index.html。関係者の皆さん、お疲れさまです。

グラックの卵 (未来の文学)

グラックの卵 (未来の文学)

わりにマイナーな作家が並ぶなかで、いちばんメジャーな名前がヘンリー・カットナーとジョン・スラデック、というあたりで大体雰囲気の見当がつく人にはつくだろう。なんとも懐かしい、ひなびた味の作品が並ぶ。五〇年代SFの、けたたましすぎないバカっぷりに、心を洗われるよう(大仰)。スラデックの中篇というのか、断片の長い集合というのか、「マスタースンと社員たち」(1967)はその中で突出してとんがっている。ジョーゼフ・ヘラーの影響があるそうだが、なるほどサラリーマン版の『キャッチ22』というか、閉鎖された世界に適応して狂気といえば狂気、自然といえば自然な人物たちの群像。いちばんのお勧めはハーヴェイ・ジェイコブズの表題作(1968)、こっちはスラップスティックお色気つき版ブローティガンといった感じ。